
永田勝太郎先生は、病に倒れて長期入院していた時に、こう決意されたそうです。
「もし、神様が私を生かしてくれることがあったら、私は医学教育に専念し、学生時代からテーマにしていた『痛み学』を中心とした全人的医療の研究・普及に命を捧げよう」
そんな永田先生が抱いていた医療と医学教育に対する問題意識を、著作の一部を引用してご紹介します。
(以下、引用文)
夜、静まりかえった病室で天井を眺めながら、一人考えた。
「私がこうなったのも、普遍性のみを追求する今の医学の帰結だ。その証拠に、私をこうした状態にした医師は何も感じていない。彼はおそらく、私に対して正しい治療をしたと思っているだろう。EBM(エビデンス・ベイスト・メディシン:科学的根拠に基づいた医学)から言えば、それは正しい。しかし、それは私を煉獄に陥れた」
患者個々には、それぞれ個別の体力・気力がある。それを考慮しないで、誰にも同じアプローチを行う現代医学には、普遍性ばかりで、個別性の概念がない。これは医学教育上の問題だ。
「もし、神様が私を生かしてくれることがあったら、私は医学教育に専念し、学生時代からテーマにしていた『痛み学』を中心とした全人的医療の研究・普及に命を捧げよう」と決意を新たにした。
現代医学は、エビデンス(科学的証拠)とパソジェネシス(病因追求論)を基本的な考え方においている。一方で、人間の個別性を無視し、リウマチなら誰のリウマチも同じと考える。統計学を用い、統計学的に有意な方法を選択する(エビデンス)。普遍性を重視し、動物実験から導き出された結論と同じ方法を人間に行う。
動物実験では、母集団がほぼ均一なので、個体差は大きくない。しかし、人間には大きな個体差がある。また、同じ個人であっても若い時と老年期ではまったく別人のように違ってくる。
さらに、よく寝て腹一杯食べた時と、疲れ切っている時ではまた条件が異なってくる。私たち医師はこうした患者さんの個別性を考慮しながら、治療法を模索しなくてはならない。すなわち、「さじ加減」をしなくてはならない。
医療が対面診療を重視するのはそのためである。医師は、その全能を以て、患者の個別性を把握しなくてはならない。
もちろん、こうしたエビデンスやパソジェネシスに従う現代医学は最も重要である。しかし、それだけでは不十分なのも事実である。
医療がそれにより、患者さん一人一人のQOL(生命の質)を高めようとするなら、そこに個別性への配慮も必要となる。そうしたアプローチをサルトジェネシス(健康創成論)という。
たとえ、病気を持っていても、障害を持っていても、いかなる状態でも健康(相対的健康)をつくることはできる。生体全体のバランスを取り、まだ活性化できるその患者固有の資源(リソース)を探す。リハビリテーションはまさにその方法であり、東洋医学や心身医学もその領域の方法と言えよう。
サルトジェネシスでいう健康とは必ずしも「絶対的健康」でなくてもよい。「相対的健康」で十分である。しかし、パソジェネシスで言う健康は、「絶対的健康」である。サルトジェネシスの考え方は現実的であり、東洋的である。
日本医師会の会長を長年務めた武見太郎先生(1904~1983年)は、晩年、「これからの医学は、普遍性の上に個別性を成り立たせる必要がある」と説いた。個別性の医療の実践のために、漢方エキス剤の保険収載を敢行した。
つとに、橋田邦彦先生(1882~1945年、東大生理学教授、文部大臣)は、戦前、「これからの医療は、現代医学の上に東洋医学や心の科学を据える必要があり、それを全機的医療と呼ぶ」と言った。
我が国には、古くからこうした全人的医療の先駆者がいたのである。
引用元:永田勝太郎「人生はあなたに絶望していない V.E. フランクル博士から学んだこと」致知出版社, 2017.