全人医療の実現に向けて生涯を捧げた永田勝太郎先生の著書『新しい医療とは何か 』(日本放送出版協会・1997年)を読むと、1990年代に全人的医療を推し進めていた世界中の人々のエネルギーが伝わってきます。
まえがきから一部抜粋してご紹介します。
1995年の夏のまだ暑い盛り、アテネ大学のスパイロス・マルケートス教授から突然、一通の手紙が届いた。
「・・・間もなく21世紀に向かおうという今日、世界には世紀末の嵐が吹き荒れています。政治、経済、すべてが混乱しています。(中略)・・・今日を生きている私たちが、ただ手をこまねいて傍観しているだけでは何も創造できません。政治、経済、文明、医療、すべての面で、私たちは新しい時代を創造しなくてはなりません。
熟慮の結果、私たちは、新しい医療の時代を創造するために、『第一回国際医療オリンピック』(The First International Medical Olympiad) を開催することを決定しました。1996年夏に、医聖ヒポクラテスの生誕の地、コス島(ギリシャ)にて開催したいと思います。私たちは、蛮勇を奮い起こし、このリンピックに備えたいと思っています。なぜなら、新しい時代に備え、医療を通じて市民に何を貢献できるか、また、今ある医療資源を有効に使い、何が可能かについて、本質的な模索をしたいからです。
ついては、あなたにお願いがあります。まず、名誉組織委員になっていただきたい。さらに、全人医療のシンポジウムを組んでいただきたいことです。
あなたが提唱している全人医療はまさに新しい時代の医療にふさわしく、医療の人間化に貢献するものと信じています。シンポジストの選考、進行等について、ぜひあなたにコーディネーターをお願いしたいと思います。・・・
第一回国際医療オリンピック組織委員長 スパイロス・マルケートス」
私にはマルケートス教授の意見に異論は全くなかった。諸手を挙げて賛成である。
以降、世界中の全人医療の先駆者たちに連絡を取り、意見を聞き、機会があれば出かけて行って直接討論し、交渉し、慎重にシンポジストを選び、できる限りの力を尽くした。幸いなことに、世界中からよりすぐったシンポジストたちは、こぞってこの企画に賛同し、喜んで参加することを約束してくれた。
万端の準備の末、1996年8月に、ライトブルーに輝くエーゲ海に浮かぶ小さな島、コス島で、人類史上初めての「第一回国際医療オリンピック」が開催された。
コス島は医聖ヒポクラテス(Hippocrates:前460年頃ー前377年頃)生誕の地である。
ヒポクラテスは、ギリシャ文明の華やかな時代に生まれ、医学を呪術から切り離し、哲学と科学性を導入した最初の偉大なる医師である。それゆえ、医聖と呼ばれている。
その島の丘の上にある「国際ヒポクラテス財団」のまっ白い建物を中心に、国際医療オリンピックは開催された。緑色のオリーブ畑の向こうにそびえる白亜の建物の玄関には世界中の国旗がはためき、抜けるような青い空に映えていた。
(引用文献『新しい医療とは何か (NHKブックス 817) 』(永田勝太郎著・日本放送出版協会・1997年)p.3-5)
「ヴィクトール・フランクルと全人的医療- ヴィクトール・フランクル生誕120年 -」
第12回国際全人医療学会大会を開催します。
日時:2025年10月5日(日)10~17時
会場:日本教育会館 7階 中会議室(東京都千代田区一ツ橋2-6-2)
(2025年8月31日まで早割受付中)