
今回ご紹介する『体をなおす、心を診る 現場の心身医学』では、永田勝太郎先生が実際に関わった患者さんとのやりとりが具体的に描かれています。
全人的医療ないし心身医学的アプローチを概念としてだけでなく、実際の診療の中でどのように実践するのかを知る手掛かりにしていただければ幸いです。
=糖尿病を患う60代の女性の患者さんと永田先生とのやりとりです=
(以下引用)
二週間後、吟さん(仮名)は、私たちの外来に現れて次のように言いました。
「先生よぉ、先生の湿布はよく効いたな。やっぱし、糖尿病をよくしようと思うが、うまいものも喰いたいし、どうすればいいかなぁ」
私は「しめた」と思いました。全人的医療の第二ステップへの糸口がつかめたのです。
「吟さん、お孫さんは?」
「三人いるよ。みんな遠くだけんどな」
「孫はかわいいかい?」
「そりゃ、あんた、眼ん中入れても痛くねえよ」
「お孫さん、いくつ?」
「一番上が八歳で、一番下が二歳だよ」
「フーン。でもなぁ・・・」
「何だい、先生らしくもねぇ。歯切れが悪いなぁ」
「このまま行ったら、お孫さんの成人式のころは、吟さん、あの世だよなぁ」
「うそこけ、わしゃ、あと十五、六年は元気だよ」
「いや、糖尿病っていうのは、眼が見えなくなったり、腎臓が悪くなったり、神経がやられちゃったりするけど、一番いやなのは、心筋梗塞になっちゃうことが多いことなんだよ。コロッと行っちまえばいいけど、吟さんなんかは、しぶといからな、ジイちゃん泣かせだと思うよ」
「先生、ちょっと待ってくれよ。わしゃ、そんな風にゃなりたくねぇよ。実は、孫たちの成人式の振袖のために、貯金を始めたばかりなんだよ」
「そう・・・。じゃ、少し痩せるための努力をしてみるか?」
「うん、ワシもやるよ」
人間は、いつ、いかなる場合でも、生きることに意味を求めます。その意味も、自分自身のためよりも、他人のための方が、強いものです。吟さんの世代の人達は、皆戦争を経験してます。一番食べたい年齢のときに、ひもじい思いをしています。ジイちゃんと二人ぐらしの生活で、食べることしか楽しみのなかった吟さんも、孫の成人式の晴れ姿を見るためなら、自分の長年の習慣を変えることができます。
このように、生きる意味、すなわち、生き甲斐ということも、これからの医療の中に取り入れていかねばなりません。
私たちは、吟さんに、ゆるやかな食事療法を開始しました。
一年後の吟さんは、七六キログラム、まだまだ太っていますが、空腹時血糖値は、一六〇ミリグラム/デシリットルまで下がりました。
そして、かわいい孫のため、一生懸命に励んでいるようです。
(引用文献:『体をなおす、心を診る 現場の心身医学』永田勝太郎、毎日新聞社、1988, p.111-113)