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【書籍紹介】フランクルの楽観主義精神『生き方の教科書』

今回は、フランクル博士の楽観主義精神について、永田勝太郎先生が残した言葉をご紹介します。


(以下引用文)

 

ヴィクトール・フランクル先生がアウシュビッツ収容所で家族全員を殺され、いつガス室に行けと言われるかもしれない中を生き抜けたのは、基本的に楽観主義者だったということ。逆に悲観的な人は死んでいったということでしょう。例えば何月何日に米軍が救出に来るという噂が流れる。皆いよいよ助かるかもしれないと心がざわめく。ところがその日が来ても何も起こらなかった時、ガクッときてバタバタと人が死んでいった。

 

ところがフランクル先生はそんな期待はしていません。例えばこんなエピソードがあります。彼が収容所の中で何かミスをやった。それを見ていたナチスの将校が彼の頬を思い切りぶん殴ったんです。その拍子に眼鏡が吹っ飛んで地面に落ち、レンズが割れてしまった。その割れた眼鏡を拾い上げながら彼は思った。「もしここを出られて収容所体験を本にできたら、この割れた眼鏡を表紙にしよう」と。だから彼の初版本の表紙には、その割れた眼鏡の絵が使われているんですよ。とにかくそのくらいに彼は楽観的で強か(したたか)だった。

 

 

またアウシュビッツでチフスに罹った先生は高熱を発しました。本人は医者だから自分の予後が分かる。今夜もし寝てしまったら、私は明日の朝、死体になっているだろう、と。だから自分の脚をつねりながら、眠らないようにしていたというんです。

 

一方、頭の中では何を考えていたかというと、自分は米軍に救出されてウィーンへ帰る。そして『一精神医学者の収容所体験』という本を書き上げ、それが世界的なベストセラーになってカーネギーホールに呼ばれると考えた。そのホールを埋め尽くす聴衆を前に講演を終え、大喝采を受けている自分の姿を想像していたというんです。今夜死ぬかもしれないという、その最中にですよ。

 

 

僕は「よい妄想」というのは、実は大事ではないかと思います。だって、すべてを奪われて何もない状態でしょう。挙げ句の果てにガス室に入れられて、いつ殺されるかもしれないという恐怖感があるわけですから。

 

しかしたとえいかなる極限状況に置かれても、人間の心は自由だと。目をつむれば精神は花園に遊ぶことができるとフランクル先生は述べていますが、そのとおりですよね。確かに妄想かもしれませんが、最後の瞬間まで諦めず希望にしがみつくことが大事だと思うんです。

 

引用文献:永田勝太郎:フランクルの楽観主義精神.「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」 p.75, 藤尾秀昭 監修, 致知出版社, 2022年