ヴィクトール・フランクル先生がナチスの強制収容所から解放された翌年にウィーンの市民大学で行った講演を本にしたのが『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル[著]、山田邦男 松田美佳[訳] , 春秋社, 1993)です。
今回はそこから一節をご紹介します。
「私たちが『生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
(中略)
私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。」
『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル 著、山田邦男 松田美佳 訳 , 春秋社, 1993)より
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